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銀河電燈(デンキ)譜

「銀河電燈譜」と「夏日和」の二編収録。「夏日和」は、「銀河電燈譜」で登場する人物の深掘り。

「銀河電燈譜」は、逃れられない因果の話。好きになってしまったのが近親者、繰り返す一族のお話です。
五章ありますが、各章の始めに独白のような回想が入り、その後賢治が乗っている汽車の話になります。だんだん回想と汽車の話がつながっていきます。これが謎解きみたいで面白いのですが、登場人物がとにかく多くて複雑なので、メモをとりながら読むのが良いかと思います。まだ理解できない部分がたくさんあります…

宮沢賢治の名前が大々的に出ているので、賢治さんに詳しくない私には難しい内容なのかなと思い積ん読していたのですが、詳しくなくてもとっても面白かったです。もっと人気があってもいいと思うのですが…文庫がないからだろうか…
ですが調べてみると、宮沢賢治の生涯や経歴、作品に沿った内容も盛り込まれているので、詳しい方の方がより楽しめるなと感じました。

まあ、でもとにかくですね、クソデカ感情従兄弟がエモすぎて泣くので、難しいことは置いておいてもとりあえず一度読んでください。

登場人物一覧

00.代々受け継がれている話

『陸奥安』:造り酒屋。
こう:陸奥安の亭主が後妻としたが、半目を開き老婆のような声を出すという、奇妙な眠り方をするので離婚となった。招人(よりまし)だと言われている。→十倉家のもの?二章で同じ名前の女性が出てきます。

十倉家:六郷の巫女(いたこ)の家系で、滄(あお)い目が招人(よりまし)=霊が憑依する能力がある者に隔世遺伝する。代々女しか生まれない家系で、霊が憑依するのは女と言われていた。死に際に萃果(りんご)を欲しがる。

『駒泉』:木挽町にある、元禄から続く糸問屋。

0. 電車に乗る道中で出てくる人々(1921年/大正十年:賢治25歳=上京~1936年/昭和11年)

賢治:記憶がおぼろげなまま、汽車に乗り込む。
とし:賢治の妹。肺が弱く、小石川医院に入院していた。萃果(りんご)を頬にあてていた。

鯉川衿子(えりこ):萃果(りんご)を持っていた。亭主(史)の兄・学を好きになり、子を身ごもってしまう。小樽で倒れ、真茂留の母親に引き取られる。
俊夫:衿子の息子。

真茂留(まもる):。滄(あお)い目をしている。半目で寝てしまう癖がある。→十倉の子。衿子、ミハイル、俊夫が乗り移る招人。
ミハイル(霊):母親(占い師)がロシア人との混血。

真藤学:ロシアに留学していた青年。衿子の母との子。
史(ちかし):学の弟。衿子の夫。

田口浪(なみ):仕立て屋『甲屋』の女将。一昨年夫とともに馬橇に乗り亡くなっている。
高群(たかむら)りく:浪の母。入院中にトシと同室だった。
十倉八為子(やいこ):十倉の八番目の娘。りくの義姉であったが、他の男との子を身ごもり離縁。
芳川格(かく):りくの兄で、八為子の元夫。

川島:賢治の東京の知り合い。『清々堂』の番頭。
俊夫:川島の息子。肺が弱く、入院がち。
壮介:川島の甥っ子(俊夫の従兄)。大学に通うため、川島の家に居候している。美青年。アナキスト。
原千鶴子(ちづこ):川島の愛人。

1.ペリーが黒船でやってきた時代→1853年

須磨の妹:姉が結婚した際、眼を患っていた。駒泉に泊まった際、寝込みを襲われ身ごもる。
須磨(すま):駒泉に嫁いだ姉。
鯉川林蔵(こいかわりんぞう):その時の駒泉の当主。
密(ひそか):須磨の夫。
一嗣(かずし):須磨の妹の子。
更子(つぐこ):須磨の子。

2.「江戸」から「東京」へ呼び名が変わった時代→1868年

駒泉の娘(妹):兄に兄妹愛を超えた思慕を抱く。兄を騙して抱かれ、不義の子を身ごもる→美しい男の子で、十倉に預けた
:駒泉の後継者。美しい顔をしている。実は志摩と”私”の父の子。
操子(みさこ):兄の妻。
志摩:”私”の叔母(母の妹)。眼が変わっていた。優れて美しい。生涯独身だった。
十倉やす:巫女(いたこ)。”私”の母の生家(六郷)で侍女をしていた。亭主は萃果(りんご)農家。滄(あお)い目をしている。
こう:やすの娘。

→年代と話を照らし合わせると、第一章の一嗣(かずし)・更子(つぐこ)が、二章の兄妹と思われます。逆に、第一章の”須磨の妹”は志摩になります。二章で真茂留が「ひいばばさまが、兄妹の子を預かった」とあるのは一嗣・更子の子で、更子が「十倉に預けた」というのに一致します。

3. 1880年くらい??

★融(とおる):病弱。
融の弟:融に似ておらず、書生のひとりに似ている。
時(とき):母が連れてきた少年。昔奉公していた女にゆかりがある。

→この章だけでは時代や場所が分かりませんが、四章との照らし合わせで発覚します。二章と四章の間は約50年かと思いますので、その間の時期かと思います。
二章の「十倉に預けた」一嗣・更子の子が行方不明ですので、それが時?

4.大戦やシベリア出兵→1918年~1922年大正のはじめ

★壱彦(かずひこ):駒泉の長男。幼くして母親と引き離される。
衡(はかる):壱彦の父。祖父が30歳を超えてからの子(その前の息子は夭折)。祖母の浮気相手の子だと言われている。
融:壱彦の伯父。夭折。
芳川(よしかわ):官職。壱彦の下宿先。
芳川の妻:夫に隠れて壱彦と愛し合うようになる。→衡に「八為子」と呼ばれていた。
衿子:衡の後妻の子。姉。
澄子:衡の後妻の子。妹。

→三章で亡くなった融が出てきます。融は駒泉の跡取り息子のようです。父の衡は、三章の融の弟かと思われます。シベリア出兵が1922年で大正十一年ですので、賢治はその時すでに26歳でした。もう賢治たちの時代に追いついてきていました。
P84で八為子が芳川の妻と決まります。また、芳川の下の名前は、妹の発言から「格」。八為子が芳川以外の男の子を身ごもって出て行ったので、相手は壱彦かと思われます。
衡が八為子を知っており、先妻は六郷出身でしたので、八為子は壱彦の母のようです…

5.衿子17歳=昭和10年?

★衿子:駒泉の長女。異母兄はスペイン風邪で亡くなっている。
真藤学(まなぶ):衿子の異母兄に似ている。
史(ちかし):学の弟。衿子の夫。
与(あたえ):学・史の父。
澄子:衿子の妹。学に勉強をみてもらっている。

→真茂留の話によると、昭和11年に真茂留の母が衿子を保護しており、学は18歳の衿子を探していますので、回想は昭和10年ころ?
衿子の話す異母兄は壱彦です。16歳にスペイン風邪で亡くなっているので、八為子との諸々があったあと、すぐに倒れてしまったようです。
学と史は異母兄弟で、衿子と学が異父兄妹でした。衿子が学の子を身ごもっており、「俊夫」と名付けて、序盤の汽車に乗るシーンにつながります。年代的に「俊夫」は川島の息子と別人かと思いますが、川島俊夫またはトシの生まれ変わりのような存在?

6. 夏日和

宮澤:菊坂(きくざか)に住んでいた。

川島:北関東の旧家の末弟。肺が弱い。芳さん
清原:清々堂の大旦那。
陛(のぼる):清原の息子。若くして亡くなった。
千鶴子:原家の令嬢。鶴の舞(脱いでしまうこと)が近隣で噂になっている。
俊夫:14になる川島の息子。
壮介:川島の甥で、居候中。近眼。
手児奈(てこな):壮介の幼なじみで芸妓。幾何と代数が好き。
村温彦(はるひこ):兄のこともあり治安警察から目を付けられている。
啓彦(あきひこ):温彦の兄。治安警察から目を付けられている。

家系図

上記の情報をまとめて、家系図を書いてみました。間違いあったらすみません…

汽車の旅

宮沢賢治は1933年(昭和8年)で亡くなっていますが、最終的に昭和11年になりますので、死後のことと思われます。最後に「三年旅をしている」とありますので、史実と合致します。妹のトシに先立たれていて、賢治は死後にトシを探して汽車の旅を続けているけれども、トシは現れない。
→真茂留が「招人は誰でも呼べるわけじゃない」と言っていますので、トシは降霊術で呼び寄せられない。トシの「オラオラデ ヒトリ イグモ」は、宮沢賢治の『永訣の朝』という詩の岩手弁とのこと(すいませんググりました)。

汽車は止まることなく、死者の世界を巡るもの?

分からないところメモ

・萃果(りんご)は十倉家が死に際に欲しがるとのことだが、萃果を欲しがっている人は十倉の血が流れている…?衿子は元をたどれば可能性があるが、川島俊夫は…?
・真茂留を亭主と間違えた小母さんは誰?八為子を呼んだというけど…
・学が真茂留に「誰でもいいんだな」というのには何か意味がある…?